北海道から大分へ 宇佐八幡宮③ 呉橋

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Hirokiです。八幡宮最後の方に呉橋がありました。
こちらは天皇陛下の勅使の方しか通流ことができない橋のようです。

鎌倉時代より前からある「呉橋(くれはし)」は、
宇佐神宮の西を流れる寄藻川にかかる神橋。
屋根が付いた朱塗りの優美な橋で、
中国の呉の人が架けたと伝えられ、名前の由来となっている。


橋長25メートル・幅約3メートル、向唐破風造りで檜皮葺き屋根、
曲線が美しい木造橋であり、県指定有形文化財に指定されている。
現在の橋は、元和8年(1622)に細川忠利によって修築されたものだが、
その後も明治9年(1876)と昭和26年(1951)に大改修されている。
この橋が位置する西参道は、昭和初期までは表参道であり、
朝廷より派遣された勅使が通ったため勅使街道とも呼ばれていた。
現在は渡ることができず、10年に一度の勅使祭
(天皇の使者が派遣されて行われる神社の祭祀)のときにだけ扉が開かれる。

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北海道から大分へ 宇佐八幡宮③ 弥勒寺跡

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Hirokiです。奥に進むと八坂神社の横に面影はありませんが弥勒寺跡がありました。


こちらは738年に境内に建立された神仏習合文化発祥の壮大な寺院の跡。
明治時代の神仏分離により廃寺となる。
現在、金堂に安置されていた薬師如来坐像は大善寺に安置され
国指定有形重要文化財に指定されている。
また講堂にあった丈六弥勒仏坐像と大弐堂の阿弥陀如来立像は極楽寺に安置されている。

北海道から大分へ 宇佐八幡宮② 本殿

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Hirokiです。こちらの大木はご利益があるようです。

樹齢800年で上宮内でもひと際目立つ大きさ。
「ご神木」を触りながら1周すると御利益あり!
樹齢を感じる肌触りで、柵に囲まれた下までしっかり根を張っています。

EXILEや指原莉乃さんも来られていたとのことです。

北海道から大分へ 宇佐八幡宮① 本殿

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Hirokiです。いよいよ参道を経て本殿へとても広くて格式のある神社です。

宇佐神宮の創建の歴史
八幡さまは古くより多くの人々に親しまれ、お祀りされてきました。
全国約11万の神社のうち、八幡さまが最も多く、
4万600社あまりのお社(やしろ)があります。
宇佐神宮は4万社あまりある八幡さまの総本宮です。
御祭神である八幡大神さまは応神天皇のご神霊で、
571年(欽明天皇の時代)に初めて宇佐の地にご示顕になったといわれます。
応神天皇は大陸の文化と産業を輸入し、新しい国づくりをされた方です。
725年(神亀2年)、現在の地に御殿を造立し、八幡神をお祀りされました。

北海道から大分へ 宇佐八幡宮⑥ クラウス号

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Hirokiです。蒸気機関車を発見、今まで見たものとは違いコンパクトな感じが印象的
時代とともに機関車も大きくなっていったんですね。
ドイツ、ミュンヘン産なので初期のものです。

北海道から大分へ 宇佐八幡宮⑤ 種田山頭火

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Hirokiです。今回は九州を旅行するとあちらこちらに山頭火の足跡が。。
旅と句と酒が大好きだったようです。。

明治15(1882)年に防府に生まれた種田山頭火は、
自由律俳句の代表的俳人です。ふるさとで俳句に触れた山頭火は、
”自由律俳句”という五・七・五にこだわらない
自由なリズムの俳句を作るようになりました。

経営していた酒造場の倒産と一家離散、離婚、出家などを経て、
大正15年に放浪の旅に出ます。句友に支えられながら、
漂泊の旅と一時の定住を繰り返した山頭火は、
昭和15年、松山に構えた庵で59年の人生を終えました。

北海道から大分へ 宇佐八幡宮④ 宮本武蔵

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Hirokiです。こちらは宮本武蔵 誠心直道の碑となります。
色々リサーチをしてみました。
宮本武蔵から歴史を経て現在、宇佐まで継承した記念に建てられたものです。

寛永17年(1640年)熊本藩主・細川忠利に客分として招かれ熊本に移る。
7人扶持18石に合力米300石が支給され、
熊本城東部に隣接する千葉城に屋敷が与えられ、
鷹狩りが許されるなど客分としては破格の待遇で迎えられる。
同じく客分の足利義輝遺児・足利道鑑と共に忠利に従い
山鹿温泉に招かれるなど重んじられている。
翌年に忠利が急死したあとも2代藩主・細川光尚によりこれまでと同じように
毎年300石の合力米が支給され賓客として処遇された。
『武公伝』は武蔵直弟子であった士水(山本源五左衛門)の直話として、
藩士がこぞって武蔵門下に入ったことを伝えている。
この頃余暇に製作した画や工芸などの作品が今に伝えられている。

兵法二点一流について
流祖は、宮本武蔵藤原玄信である。
幼少より剣の道に志し、その鍛錬は実に生死を超えたものであった。
六十余度の勝負にも一度も敗北を知らなかった。
しかるに三十にして己の剣を振り返り、
憶念思考し「わが兵法至極にして勝にあらず」と自覚し、大いなる世界に立った。
そしてなおも深き道理を得んと朝鍛夕錬し、
五十にして実相円満の兵法二天一流を創始した。

北海道から大分へ 宇佐八幡宮③ 三浦義一歌碑

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Hirokiです。こちらは右翼のボスのようです。


三浦 義一(みうら ぎいち)
明治31年(1898年)2月27日 – 昭和46年(1971年)4月10日)、
日本の右翼。フィクサー。
日本銀行総裁・一万田尚登の親戚筋の立場を利用して、
戦時中に日本金銀運営会に入り込み、その組織と利権を掌握した。
父の三浦数平(大分県士族[2])は大分市長、衆議院議員を務めた。
(Wikipediaより)

北海道から大分へ 宇佐八幡宮② 高浜年尾

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Hirokiです。こちらの歌碑は不思議な形をしていて目につきました。。

「薫風や国を護りの神として」

高浜 年尾(たかはま としお、1900年12月16日 – 1979年10月26日)は、俳人。
高浜虚子の実子。東京市神田区猿楽町に虚子・いと夫妻の長男として生まれる。
「年尾」の名は正岡子規の命名による

この方は北海道にもゆかりがあり、小樽商科大学時には
同期に小林多喜二、1期下に伊藤整がいたとのことで。

また今年は俳人の稲畑汀子さん(年尾の娘さん)も
お亡くなりになりご縁を感じました。

北海道から大分へ 宇佐八幡宮① 南尚翁顕彰碑

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Hirokiです。宇佐八幡宮入口付近にあるものをご紹介いたします。
こちらの石碑は何かと、案内MAPに説明もないのでリサーチしました。
ズバリ、水路、トンネル工事のスペシャリストの方のようです。

【南尚翁顕彰碑】
南 一郎平(みなみ いちろべえ)
1836年(天保7年) – 1919年(大正8年)

日本の建設事業者、建設指導者、実業家である。
晩年に南 尚(みなみ ひさし)と改名した。
豊前国宇佐郡金屋(現・大分県宇佐市)出身。
幕末から明治にかけて、大分県の広瀬井路、高森水路を開発。
その後明治政府の水利開墾事業に従事し、全国の水利土木工事にあたった。
とくに日本三大疏水とされる安積疏水(福島県)、琵琶湖疏水(滋賀県 ‐京都府)、
那須疏水(栃木県)の開発や月居トンネル工事(茨城県)に取り組んでいる。
疏水工事のなかで、特にトンネル工事で経験を積み、この経験を生かして、
後にトンネル工事を専門とする「現業社」を創設した。
一族には陸軍大将や朝鮮総督を歴任した南次郎がいる。
(Wikipediaより)