北海道から大分へ 宇佐八幡宮④ 宮本武蔵

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Hirokiです。こちらは宮本武蔵 誠心直道の碑となります。
色々リサーチをしてみました。
宮本武蔵から歴史を経て現在、宇佐まで継承した記念に建てられたものです。

寛永17年(1640年)熊本藩主・細川忠利に客分として招かれ熊本に移る。
7人扶持18石に合力米300石が支給され、
熊本城東部に隣接する千葉城に屋敷が与えられ、
鷹狩りが許されるなど客分としては破格の待遇で迎えられる。
同じく客分の足利義輝遺児・足利道鑑と共に忠利に従い
山鹿温泉に招かれるなど重んじられている。
翌年に忠利が急死したあとも2代藩主・細川光尚によりこれまでと同じように
毎年300石の合力米が支給され賓客として処遇された。
『武公伝』は武蔵直弟子であった士水(山本源五左衛門)の直話として、
藩士がこぞって武蔵門下に入ったことを伝えている。
この頃余暇に製作した画や工芸などの作品が今に伝えられている。

兵法二点一流について
流祖は、宮本武蔵藤原玄信である。
幼少より剣の道に志し、その鍛錬は実に生死を超えたものであった。
六十余度の勝負にも一度も敗北を知らなかった。
しかるに三十にして己の剣を振り返り、
憶念思考し「わが兵法至極にして勝にあらず」と自覚し、大いなる世界に立った。
そしてなおも深き道理を得んと朝鍛夕錬し、
五十にして実相円満の兵法二天一流を創始した。

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